第2回は「浦和自然観察会」の代表 久保さんです。久保さんご自身がすごく楽しんでいるためか、お話を聞いているだけで引き込まれて何かワクワクする、そんなかたでした。
インタビュー日:2020年6月14日
自己紹介をお願いします
久保雅春です。”雅(みやび)やかな春”と書いて“まさはる”と読みます(笑)。NPO法人自然観察指導員埼玉の理事と運営委員も務めています。
浦和自然観察会が発足した経緯を教えてください
大宮フレンド(現在の「さいたまフレンド」)の役員2名を中心に1996年4月に発足しました。私は今年、代表を引き継ぎました。会員は18名で年齢は30代から80代まで幅広いです。
浦和自然観察会はどのような活動をしているのですか
秋ヶ瀬公園のピクニックの森とその周辺、田島ヶ原のサクラソウ自生地で、それぞれ担当を決めて自然観察会を行っています。ピクニックの森は四季の移ろいとともに植生が変化するので面白く、それが定点観察をこの地に定めた理由でもあります。
今年から一部の定例観察会では、クラフト教室といって公園内で拾ったドングリでキーホルダーをつくったり、竹鉄砲をつくってピクニックの森に自生しているリュウノヒゲの実(林床に生え実は熟すと鮮やかなコバルトブルーになる)をつめて打って遊んだり、楽しい企画を用意しています(12月13日の定例観察会で実施予定)。
会員どうしのコミュニケーションが活発とお聞きしていますが
会員以外の参加も受け入れてますが、毎年夏に「高原ハイク」と称してバス旅行を企画しています(久保さんは「総合旅行業務取扱管理者(旧 一般旅行業務取扱主任者)」という資格をもっている(後述))。新型コロナの影響で中止となりましたが、今年は玉原(たんばら)高原に行く予定でした。過去には蓼科の御泉水自然園、日光の戦場ヶ原、青木ヶ原の樹海など訪れています。会員にはハイキング好きの人もおられるので今後はハイキングと自然観察をセットにしたイベントなど計画したいと思います。
自然観察指導員になったきっかけは?
会社勤めをしていた頃から山野草の花を見ることが趣味で、定年退職後に森林インストラクターの資格(一般社団法人全国森林レクリエーション協会の認定資格)を取得するなど、もともと様々なかたちで自然に親しんではいました。しかしある時、同じく山野草を見ることが趣味の友人に連れられ尾瀬の至仏山を訪れ自然のすばらしさに感動したのですが、その友人が滋賀県で自然保護協会(NACSJ)の講習を受けて自然観察指導員になっていたという話を聞いて偶然興味を持ち、さっそく埼玉県の講習会に参加し指導員になりました。
また、退職後は総合旅行業務取扱管理者という資格をいかし、添乗員として尾瀬へ10回ほど行きその後、尾瀬自然ガイド(尾瀬ガイド協会の認定資格)になりました。
得意分野を教えてください
興味の幅は広いですが、どちらかというと植物が好きです。名前を知らない美しい植物を見つけたらマクロ写真を撮って家に帰ってから同定して、写真と一緒に特徴など記録するのが楽しいです。
これまで活動して楽しかった想い出は?
尾瀬で千葉から来た中学生を龍宮小屋 1) までガイドしたときのことです。200メートル程の標高差にも関わらず都会育ちで登山慣れしていないのか、最初は「エレベーターはないですか」などと言っていたのですが、なんとか頑張って最後まで歩ききってくれました。その時に引率した先生から「本当に良かったです」という感謝の言葉を頂きすごく嬉しかったことを覚えていて、これがいまの活動の原点かもしれません。
浦和自然観察会としても日光の戦場ヶ原に高原ハイクに行き、夏の草花や樹木を観察して歩きながら、同じ日光でも小田代ヶ原とは乾燥度合いの違いから植生が異なることを学びびました。参加者の評判も良かったのですが、これは本当に楽しかったですね。
目標などあれば教えてください
浦和自然観察会に若い世代の皆さんにももっと参加して欲しいと思っています。最近とても窮屈な世の中になってきているので、自然の空気を吸って生き物を観察するなかでストレス発散でき、それが結果的に自然保護という意識に自然とつながればよいなと考えています。今後もクラフト教室や高原ハイクなどのように、初めてでも気軽に参加できて楽しめるイベントを企画するつもりです。
最後に、会の活動や自然観察指導員に興味をお持ちの皆さんにメッセージをお願いします
自然のなかをただ歩くだけでも楽しいですが、1つでも生き物の名前を覚えて帰ると、つぎに自分で他の場所を訪れたときに自分で発見する喜びがあり、さらに楽しくなると思います。健康にもよいのでぜひ参加してみてください。
1)龍宮小屋と竜宮伝説
尾瀬ヶ原の中ほどに竜宮と呼ばれる場所があり、山から流れ出る沢の水(長沢の水)が渦を巻きながら突如、湿原の中に消えます。これを第二竜宮と言います。50mほど先の所で再度湧き出していて、これを第一竜宮と呼び、不思議な現象です。発見されたのは大正10年(1921年)のこと、尾瀬ヶ原にダム計画が持ち上がり、関東水電(現在の東京電力)が測定を行ったとき。第一発見者は当時の富士見小屋の主人 萩原さん。萩原さんは沢の水が穴の中に吸い込まれているのに驚き、「この渦の先にはきっと竜宮城があるに違いない」と噂を立てたことから、この土地が竜宮と呼ばれるようになりました。龍宮小屋はそんな所にあります。